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踵齧りウエルッシュ・コーギー・ペンブロークの歴史 ワーキング・ドックの仲間であり、ヨーロッパや世界の各地で、牧羊犬、牧畜犬として働く犬たちのグループです。 はるか昔、家畜の群れを追い守るのは人の仕事でした。 ところがいつごろからか、頼りになる助っ人があらわれ、作業が一段とスムーズに運ぶようになりました。 最も古い職業のひとつであるハーディングを、犬が手助けすることとなったのです。 ハーディング・ドックには、大きく分けると、牛や羊の群れを追いながらまとめる役目の大や、群れを追い散らす犬、市場まで連れていく犬などがいます。 何千年もの牧畜や牧羊の歴史を持つヨーロッパでは、さまざまな国で独特の文化が発し、ハーディング・ドックの役割も徐々に変化してきました。 ハーディングに犬が加わっためのころは、オオカミなどの野獣から牛や羊を守る番犬として、古代の大きな犬、チベタン・マスティフの流れを汲む力強い犬が求められます。 これらの犬は、身を包んだ剛毛で悪天候や外敵の襲撃から体を保護し、すこぶる頑丈で頼りがいがある犬たちでした。 オオカミなどの害獣が死に絶え、安全になると、羊をよくまとめる、いわゆる、牧羊犬が活躍します。 イギリスに古くからいる大型の牧羊犬としては、スコットランド出身のコリーが有名。 シェットランド・シープドックは、そのコリーのラフ種の影響を受けた、シェットランド島の小さな羊にぴったりの、小型サイズの牧羊犬です。 市場まで家畜を護送する犬には、家畜商人の犬と呼ばれ、ボブ・テイル(切り尾)の由来を持つ、むく毛の大型大、オールド・イングリッシュ・シープドックがいます。 やがて、羊毛の需要が高まるにつれ、ハーディング・ドックも、重量級の犬より、小さく機敏でしつけがしっかりとできる犬が求められるようになります。 そして、何世紀にもわたる改良の結果、ハーディングに適した犬が作り出されました。 それは、中型のサイズで、覚えがよく、機転がきく賢さを待ち、外敵には果敢に立ち向かい、また、大変従順な犬です。 この理想とされる犬の代表は、ウエルッシュ・コーギーでしょう。 これらの牧羊犬たちは、容姿はそれぞれ異なるものの、聡明で人の好晴をよく察し、従順な性格はみんな同じ。 環境への順応性も高く、家庭犬としてもよくなじむ犬たちです。 |
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ウエルッシュ・コーギー・ペンブロークのくらし さまざまな研究や実験によると、動物たちの記憶は大きく2種類に分けられるそうだ。 重要なのは恐怖に関する記憶で、これは同じシチュエーションに遭遇したときに身を守るめ、優先して脳に保存されるという。 時にそれは遺伝子レベルで継承されるらしく、猫を見たことのないネズミに、猫の声を聞かせただけで隠れようとすることもあれば、子犬や子ギツネに大きな羽音を聞かせると、慌てて集まって隠れようとすることもある。 いわゆる「天敵反応」として定着しているのだ。 わが家の犬もロケット花火に出くわし、それからというもの、そのコースを拒絶するようになった。 これも。 怪しいものに近付かないという正しい反応であり、慎重な性格であることを示している。 次に脳の記憶野に残されるのは、やはり楽しい記憶。 野生動物なら、おいしい獲物を捕獲した場所は心地良い記憶として残され、必ずそこを再訪するだろう。 犬たちならば、やさしくなでてくれた人、おやつをくれた人、一緒にボール遊びをしてくれた人などは好感をもって記憶され、再会のときにはちぎれんばかりのしっぽの動きで歓迎することだろう。 昨年の晩秋まで展開していたわんわん動物園で、わが家生まれのコーギー犬『タロウ』はけっこう人気者だった。 いわゆるコーギー犬で、警戒心が強く、怪しい物事には吠え声で対処していた。 そんなタロウがなぜ人気者だったのかと言うと、彼は自分が認めた人には全身を預け、これでもかと言わんばかりの甘えたしぐさを示すからだった。 私は、タロウに。 接触を認められた人たちの証拠記念写真を握り、「コン吉の友だちリスト」として貼り出した。 そこに載ることを目標に、吠えられた人たちは何度も王国に通ってくれたものだ。 いちばん時間のかかった人は、50数回の来国でようやくタロウとのツーショット撮影にこぎつけた。 その感激の笑顔は、じつに見事なものだった。 ちなみに、タロウは去勢していないオスである。 どちらかと言うと、女性とはすぐに友だちになることができた。 初対面でさわれた人が30人ほどいたが、それはほとんど女性だった。 まあ、これは飼い主に似だのかもしれないが……。 タロウのコーギーらしさを笑顔で見守りながら、私は犬の記憶力の観察を楽しんだ。 タロウは完璧なまでの番犬気質を備えていた。 初めて出会う人間には20m以内への接近を許さす、決して攻撃はしないが、真剣 な表情で吠えて警戒を示していた。 「どうぞ、その辺に腰を下ろしてください。 あっ、タロウに背を向ける感じで」とは、私のアドバイスである。 おやつや遊びのときをのぞいて、犬は人間とのアイコンタクトが苦手で、時に恐怖ですらある。 警戒を示している初対面の犬を正面から見つめるのは、やめたほうがいいだろう。 背中で「よろしく」と語りかけている人間に、タロウはそっと近付き、漂ってくる匂いを確認していた。 相手が怪しい動きをしないと判断すると、その距離はどんどん縮まり、やがて後ろ手に差し出された手に鼻を寄せる。 こうなれば名刺の交換が終わったようなもので、タロウの友だち名簿に記載される日も近い。 そうやって日々増えていったタロウの友だちは、私の記憶では最終的には300人を超えていた。 タロウの立派なところは、一度認めた人間を忘れないことだった。 土日、祭日には来園者も多い。 大勢のお客さんが押し寄せて来たときにも、タロウはそのなかから友だちを確実に見つけ、駆け寄ってあいさつを交わしてなでてもらっていた。 私の観察では、タロウが相手を見定める距離は20m以内だった。 それ以上離れていると、声が聞こえない限り、友だちも怪しい人扱いだった。 さらに、相手がいつもと大きく異なる服装をしている場合も警戒心は強くなり、なかなか確認が進まなかった。 従って、雨の日に傘が増えるとタロウは迷い、警戒レベルが上かっていた。 わんわん動物園の友だちとの再会 そんな暮らしにもひと区切り。 昨年の暮れにわんわん動物園は門を閉じ、タロウを始め犬や猫たちは北海道の故郷に戻った。 当然ながら、大たちの日々の暮らしの形は大きく変わった。 時にはまる-日、私と女房と息子以外の人間の顔を見られないこともある。 わんわん動物園のように広いエリアを柵で囲っているわけではないので、ほとんどの大はわが家を囲むように配置された大小屋につながれている。 大勢のお客さんとの毎日を笑顔で楽しんでいた犬たちにとっては、寒さと退屈の繰り返しとなってしまったのだ。 タロウは当初、郵便配達のおじさんや宅配便のお姉さんに吠えていた。 しかし、その人たちを友だち名簿に記載してしまうと、またまた暇な時間が増えてしまった。 田舎に引っ越して2ヵ月が経った、寒さ厳しい2月の中旬のこと。 わんわん動物園で友だちになった女性ハナさんがわが家に遊びに来てくれることになった。 果たしてタロウはどんな反応をするのだろうか。 彼女を記憶しているのだろうか……。 私はわくわくしながらその日を待った。 ハナさんは冬道の運転経験がある。 空港でレンタカーを借り、アイスバーンの道を安全運転でわが家にやって来た。 タロウを始めとして、退屈な日々に飽きた犬たちにとって、来客は楽しい出来事。 ここぞとばかりに見知らぬ単に向かって吠えていると、雪の中に止めた車からハナさんが笑顔で登場した。 犬たちの吠え声のトーンが、「怪しいぞ」から「早く来て」に変わった。 私はあいさつもそこそこにタロウを目で追っていた。 タロウは、車から降りたハナさんにしっぱを下げて吠えていた 。 距離は20mくらい、微妙なところだった。 ハナさんが徐々に近付いて来た 。 抱えていたお土産を確認したからではなく、はっきりとタロウにハナさんの声が届いたのだろう。 突然、タロウのしっぽが上がり始めた。 北の地の大たちは懐かしい姿と声に接し、大喜びの時間をもらっている。 林のなかを川まで散歩。 広い草原でともに駆け、陽光を浴びて昼寝。 おいしいジャーキーをもらって、犬たちは満足の表情。 ときには車で30分ほどの海に出かけ、浜に打ち上げられたオキアミの大群に感激し、冷たい海で遊ぶ大たちを笑顔で見守る。 そんなときにもタロウは活躍している。 彼は、いわゆるコーギー犬だと前述した。 だからこそ認めた人間を守り、そばを離れず、ともに遊ぶ才能に長けているのだ。 遠方からはるばる来て再会を果たした人たちも、わんわん動物園にいるときとは違った、密接な自分だけのタロウとの時間を楽しんでいるようだ。 家畜としての遺伝子 さらにタロウに大きな変化が起こった。 わんわん動物園で知り合った人だけではなく、北のわが家で初めて会う人にも、しっぽを振り始めたのだ。 もちろん、出会ってすぐにというわけにはいかない。 多少の時間は必要だが、明らかにそれはわんわん動物園にいたころよりも短く、それこそあっと言う間にお尻を向け、身を預けている。 通常、鎖でつながれている犬は、強い警戒心を抱くもの。 いざというときに自由に逃げられないので、吠えて、うなって、「来るな!」と示すからだ。 わんわん動物園で、フリーかつ広いエリアで過ごしていたときから警戒心の強かったタロウである。 つながれている現状ではもっと激しくなるだろうと予想していた。 ところが、タロウは来客に対してすぐに信頼を示し、吠えることすらしなくなったのである。 時折出る声は、明らかに「ほかの犬はいいから僕のほうに来て」との催促だ。 「タロウは人間の友だちが欲しいのだ。 飼い主だけではなく多くの人と接する喜びをわんわん動物園で学んだのだ」と私は確信した。 これはほかの犬も同じである。 犬は人間あっての犬であり、明らかに家畜としての遺伝子を受け継ぎ、体験学習したことを展開した上で生活している。 わんわん動物園での4年間、数十万大の人が、タロウを始めわが家の犬たちの心を開放してくれた。 「ありがとうございます」の言葉とともに、彼ら犬たちの記憶、資質、才能を生かす手立てを、今、私は考えている。 |
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