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いいかえれぱ、生きながらの名木を自己の財力で自分のものにできるという満足感ーそれがある一時期、日本の支配階級の入々に盆栽が愛玩された理由のひとつであり、そうした風潮に対して、民の側から拒絶反応があったからだろう。 しかし、いまの盆栽はちがうの次の言葉はすこぶる暗示的だ。 「盆栽のよろこびはまた、一段異なった伊やさしさ"をもっている。 それは制約された炉自然"にけなげにも生きている、という感じをひとびとにいだかせるのである。 程度の差こそあれ、同じ有限のこの地上に生きて行かねばならないわたしたち入間にとって、それはまさに盆栽家のいうような人生の友である」。 盆栽の社会学は 盆栽こそ、庶民の好伴偶でなくてはならない。 なお、閑人の趣味というのは時間がかかるということだろうが、有限の時間に生きる私どもだからこそ、無限の時間におのれの夢を賭けるのである。 決して閑があるからするのではないのである。 |