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自然と人工のあいだはー鉢植えの芸術性とか、鉢植え界の先入たちは、伊鉢植えは芸術なりψということにみずから誇りをもって、これを愛しながら、社会にむかって特色を主張してきた。 現代の私どもも、心情駒には鉢植えを芸術として扱いたいし、また、そのほうがやり甲斐がある.しかし、伸間同士の自捜話ならいざ知らず、襤栽の芸術性を外部の人々に対して論理的に証明する段になると、なかなか、やっかいな閻題が多いのである。 ここでは、鉢植えの芸術性について、できる限りの孝察をこころみてみたい、と思う。 まず先人たちの斉葉を引用してみよう。 「鉢植えは芸術である。 この説明をむずかしく取扱えば際限がない」。 「そこで、絵画や彫刻であるが、これらのものを大づかみに造形仲.瓜術ということは、何凡も興論がなかろう。 その絵画や彫刻と同様の性質を、鉢植えがとっているならば、鉢植えもまた、造形芸術のひとつとして、鉢植えは芸術なワという主張も成立するはずである」「ラスキンは芸術に関して次のごとく述べている。 ヶおよそコピーは芸術ではないが、イミテーションは芸術である4と。 |